・ 「うわっ、大変だぁ」 はたから聞くと呑気そうだが、本人としてはどうやら必死な声がひょろひょろと彼の口から漏れる。 濃い茶色の髪の毛を掻き乱し、ジェムは大通りを走っていた。
「遅れてしまって申し訳ありませんっ。北の(ノルズリ)大陸代表のジェム・リヴィングストーンです」 彼が目指していたのは、巡礼の出発地点である『始まりの神殿』だった。
それまでの例に漏れず、この度の巡礼使節たちも当然のようにここを集合場所に選んでいた。
それもそのはず。
ジェムは今にも泣きそうな顔で、ぺこぺこと頭を下げた。 「本当にごめんなさい。これにはやむにやまれぬ事情があったんです…」 釈明ならいくらでも言える用意がジェムにはあった。しかしそれはけしてジェムが言い訳の天才であったり、嘘を吐くことに長けているからと言うわけではない。 彼の言葉通り、ここまでの道中にやむにやまれぬ事情と言うものがこれでもか、と言うほど彼の身に降りかかっていたのである。 ここでその全てを取り上げることはしないが、それでもあえていくつか述べるならば、 出掛け間際に季節はずれの大雪が吹き荒れ三日三晩学内に閉じ込められ、
これは幸先が悪いと言うよりかは、むしろ何かに呪われているようだった。おかげでかなり余裕を見て出発したはずなのにこの有り様である。 お前本当に大丈夫かと、心配げにたずねてきた級友をなんら問題ないと笑って説き伏せた自分だったが、やっぱりぜんぜん大丈夫ではなかったかもしれない。 さて、話は戻って神殿に駆け込んだジェムである。 そこで待っていたのは一人の神官だった。しかしぱっと見た感じは、ただでさえあまり体格が良くない上に頬はこけ、顔色は青白いあまりにもさえない様子のただの中年である。 ジェムに目を止めた彼は、唯一ランランと光っているその目をかっと見開き、聖職者にはあるまじくがっつんがっつんと足音を響かせジェムに迫って来た。それもかなりの速度である。 そのあまりに異様な迫力にジェムはぎょっとし、思わず目をつぶり身をすくませた。
「良くぞいらして下さったっ!」 「は?」 おそるおそる目をあけてみると、神官はジェムの手をぶんぶんと振りながら涙ぐんでいた。
少なくとも巡礼に遅刻した不届き者にするにしては、あまりにも熱烈な歓迎振りであった。 「そ、そんな、遅れてしまって大変恐縮しております」
神官はハンケチを取り出してそっと目尻をぬぐう。 神官の過敏な反応に混乱は隠せないものの、とりあえず怒られることはなさそうだと分かりジェムはほっと胸をなぜ下ろした。
とにかくひと安心したジェムは気を取り直し、早速一番気がかりだったことをたずねることにした。 「それでは、他の使節の皆さんはどこにいらっしゃるんでしょう?」 神官に叱責は受けなくても他の巡礼の仲間には一言謝らなくてはならない。そう考えるジェムだったのだが、返された神官の答えは予想からかなりはずれたものだった。 「…おりません」
ジェムはとっさに自分の耳を疑った。そしてはっと思い当たる。 「ああ、ぼくが遅いので先に行ってしまったんですね。それじゃあ…」 「いいえ、違います。そうではなく、いらっしゃらないのです」 やけにはっきりとした神官の声に不吉なものを感じつつも、ジェムは首をかしげた。 「それって、どういう意味でしょうか?」 「他の皆さんは、まだおいでになってないのです…!」 ジェムは言葉を失った。神官は再び目を潤ませ、ずずーっと鼻汁をすすっている。 そんなこと一番最初に否定した、いや、むしろ思い付きさえもしなかったパターンである。 神官のあそこまで熱烈な歓迎にやっと納得がいった。
「えっと、本当に紛れもなく、誰も来ていないんですか?」 自分も遅刻した負い目もあってか、何とか気を取り直したジェムはえぐえぐと泣きじゃくる神官にもう一度確認を取る。しかしいい年をした大人が人目も構わず泣く姿と言うのはなんとも見苦しいものである。ついつい身を引くジェムに神官は首を横に振った。 「いいえ、十日ほど前にお一人だけここにいらした方がいます。しかしその方は、まだ誰も着いてないならまだいいか、と出ていかれて、それから何の音沙汰もなく…」 「その人が今どこにいるのかご存知ですか?」 そしてとある店の名前を聞き出すと、ジェムは急いで神殿を後にした。 |