第一章 5、「黒い羊愛好家」(1)

 

 連れて来られたのは郊外の大きな屋敷だった。

 ジェムの暮らしていた学生寮ほどの大きさもある(その立派さについてはまるで比較にならないが)屋敷を見たところ、シエロの推理もそう的外れな物ではなかったことがおのずと知れた。

 中に入ると今度はその豪華な内装に圧倒させられ、ジェムは目を見張った。

 どこを向いても必ずや視界に入り込む絵や置物、家具などは個性の強いものばかりで、同時にこれまでの学院での生活において完全に美術品に縁がなかったジェムですら、そのどれもこれも値の張るものだということは認識できた。

 案内された部屋は三人だけのために用意されたものにしてはやけに広く、それまで以上に自己主張の激しい調度品の数々が目を引いた。三十人ほどが掛けられる細長いテーブルには三人分の料理が用意されている。

 緊張でがちがちに身を硬くしていたジェムだったが、ほこほこと湯気を立てる料理の食欲をそそる匂いが鼻腔を刺激したとき、はじめて自分がこの街に着いてから何ひとつ口にしていなかったことを思い出した。

 キュルキュルと音を立てて空腹を告げる腹部を押さえ、慌ててあたりを見回すと、すでに兵士は席につき食事をはじめていた。

「どうした?食べないのか」

「えっ、いえ…」

 平然と訊ねてくる兵士にジェムは戸惑う。

「食べられるときに食べておいた方がいい。安心しろ。危ないものは入っていない」

「…。そのようですね」

 何を根拠にしているかは分からないが、まあ、そこまで豪快に食べていれば端から見ても毒の入っている心配はないだろう。シエロの方はと目を向けると、彼はさっさと料理を下げさせ代わりにお茶を頼んでいた。

「シェムノン産のをよろしくね。ミルクはアウストリ大陸のマックーヤ。リグノの蜂蜜も付けてほしいなぁ」

「…」

「えっ、シェムノン産のないの? じゃあ、エミストラ産でいいや」

 ジェムはため息をひとつつき、おざなりに食事の席に着いた。このメンバーが一緒なら、もはや怖いものはこの世に存在しない気がした。



 食事を終えてしばらくたった頃、ようやくにして屋敷の主が現れた。

「遅くなってしまってごめんなさいね」

 従者を引き連れ戸口から現れた主を見て、ジェムは目をぱちくりとさせた。

 別にその人はそれほど奇抜な人物だったわけではない。火の民のバッツや金髪のシエロなどと比べれば、かなり普通の範疇に入るだろう。ただし彼にしてみれば意外だったし、インパクトもあった。

 あでやかに結わかれた黒髪に、戸口に詰まりそうなほどに膨らんだ赤いワンピースのスカート。

 華美ともいえる、屋敷の女主人は艶然と微笑んだ。

「あなたがシエロさんね」

 ゆったりした足取りでシエロに近寄る。そして席から立ち上がったシエロに彼女は手を差し出した。

「お招きどうもありがとう」

 シエロもにっこりと微笑み、差し出された女主人の手を握る。女主人がかすかに不満そうな顔をしたのがジェムにはわかった。たぶん握手を求めて差し出した手ではなかったのだろう。

「それであなたがシエロさんの連れの方」

 女主人は今度は兵士の方に目をやるが、彼は無愛想にそっぽを向く。

「あたくしはアンジェリカ。この館の主人です」

「えっと、ぼくたちにいったい何のようですか?」

 アンジェリカはちらりとジェムに目を向けたが、すぐに視線を外す。

「お会いできて光栄だわ」

 完全に無視である。文字通り、ジェムのことはまるっきり眼中に入ってないようだ。

「ここにバッツ君、つまり火の民の少年がいるよね。これは単なる推測だけど。でももしいるなら会わせてほしいな」

 ジェムが相手ではどうやら何も話してくれないつもりらしい。仕方なしに彼女の興味を一身に背負っているらしいシエロが(それが嬉しいかどうかはまったく別問題だが)、一同を代表してたずねた。

アンジェリカはにっこりと微笑むと、たっぷりと紅をのせたその厚ぼったい唇にチョンと指先で触れる。

「頭の良い子は嫌いじゃなくてよ。でも少しせっかちさんみたい」

「いいから早く答えろ。何故我々をここに集めた」

 早くも臨界点を突破しそうな兵士が険しい眼差しで女主人をにらみつける。無意識にか、手が剣に伸びていた。

 それを見て女の従者がすばやく彼女の前に立ちはだかる。従者のひとりは、彼らをこの屋敷に連れてきたあの道化師だった。

 一瞬即発の雰囲気で、兵士と睨み合う従者を女主人は後ろから軽く抱きしめた。

「おやめなさい。そんな怖い顔をしては、せっかくの可愛い顔が台無しよ」

 厚く化粧を塗りたくった道化師に、可愛い顔も何もないものだが、とりあえず従者は兵士と火花を散らしあうのはやめた。

「確かにその質問はもっともね。だから特別あなたたちには答えてあげるわ」

 女主人はにっこりと、とろけるような笑みを浮かべた。

「あたくしはね、変わったものが大好きなの」

 

    

 

 

 

 


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