第一章 プロローグ 「誰がために雪は降る」 <2>

 


 ぱちぱちと暖炉の中で薪が弾ける。当然のことながら学長室は書庫と違ってちょうどよい温度に保たれていた。少年はコートを脱ぎ腕にかけた。

「ええと、なんのごようでしょうか?」

 びくびくと話を切り出す。こうやってこの場所でこの人と話すのは実は二回目だ。しかしけして慣れるものではない。緊張に身を硬くした彼に、学長はにっこりと微笑んだ。

「座りたまえ」

 真っ白な髭をたくわえ好々爺然とした老人は、まず彼に何枚かの紙を手渡した。

「ジェム・リヴィングストーン君。まあ、見て分かると思うがの、それはおぬしの答案じゃ」

「うわあ…」

 予想していたこととはいえ少年――ジェムの口からうめき声が漏れた。そこには不可の文字が大きく記載されている。これで全教科制覇だ。もちろん、オール不可ということで。

「これまで一年間様子を見てきたわけじゃが、リヴィングストーン君。これでおぬしは一年間全ての試験に不合格だったことになるの」

「はあ。そのとおりです」

 彼は恥ずかしそうに身を縮こませた。

「返す言葉もありません…」

 こんな成績はこの学院が始まって以来の惨事だろう。なんだか申し訳なさすら通り越して、我がことながらに恐ろしくさえ思う。
 恐縮する彼に学長は穏やかにうなずくと、あっさりと言った。

「非常に残念なことじゃが、そうなるとこの学院の規約により、おぬしを学業不振ということで退学にせざるおえないのじゃ」

「そ、それは困りますっ」

 彼はぎょっとして腰を浮かした。自業自得ではあるものの、ジェムはとにかく慌てふためく。

「お願いです! それだけはどうか勘弁してください。ぼく、この学院にどうしても居たいんですっ。お願いしますっ」
「じゃがしかし、」

 必死に頼み込もうとする彼に、もっとも学長は顔の皺ひとつ動かすこともなく淡々と言葉を続ける。

「それはあまりにももったいない。他の先生方も試験の成績はともかくとして、君の書くレポートの着眼点はとても面白く、看込みがあるとおっしゃっておる。何よりもおぬしは三年前まで…」

「―――学長先生っ…」

 不意に硬い声色に遮られ、学長はうむと言葉を切った。

「まあ、そういうことで、こちらとしてもおぬしの退学は忍びないと思っておる。そこでじゃ、こちらからひとつ提案がある」

「ぼくなんでも聞きます! 退学になるのだけはどうしても嫌なんです」

 少年の顔がぱっと輝いた。
 そして学院に残るためならどんなことでもやり遂げます、と懸命に訴える。
 その言葉ににこにことうなずきつつ、学長はおもむろに話題を変える。

「おぬしは八年に一度、世界各地から選ばれた少年が巡礼に出るということを知っておったかな」
「えっ? いえ、初めて聞きますが…」

 唐突に話がそれたことをいぶかしく思いながらも、ジェムは真面目に学長の話に耳を傾けた。

「西方の山岳大陸ヴェストリ。東方の森林大陸アウストリ。南西の諸島ギュミル。南東の砂漠スズリ。そしてここ、北のノルズリ大陸。この五大陸から選ばれた五人の少年たちが、各大陸五ヶ所にある大神殿を回るのじゃ」

「はあ、そうですか」

 訳が分からないなりにうなずくジェムに、学長は満足げに微笑んだ。

「実はこの学院には学び舎としての役割のほかにもうひとつ重要な役目があってのぅ。大神殿の一つ地大神殿の管轄下にあるこのサチェス神学院は、そのうちの一人を輩出するという名誉ある役目を任されておるのじゃ」

「ああ、分かりました! ぼくがその巡礼の使徒として旅に出ればいいんですねっ」

 ここに来てジェムはようやく納得する。このチャンスを逃してなるものかと、勢い勇んで承諾するが、ふと疑問が彼の頭をかすめた。

「あの、でも本当にいいのですか。そんな名誉ある役目にぼくのような退学すれすれの生徒が選ばれてしまって…」

「うむ…、それはまあ。なんと言うか」

 そこで初めて学長が口ごもった。組んだ指をくるくるとせわしなく動かす。

 ジェムはなんだかとてつもなく嫌な予感を覚えた。

「もしかするととても危険な旅なのですか?」

「いいや、そんなことはない。前回の巡礼の使者はちゃんと戻ってきた。ただ…」

 つつっと視線がそらされる。

「前々回の使者はいまだに生死不明じゃ」

 思わず絶句する。学長はかんらかんらと笑った。が、声が心なしか引きつっている気もしないでもない。

「大丈夫じゃ。君なら何とかなるじゃろう…たぶん」

「何でそんな自信なさげなんですかっ」

「出発は春になってからじゃ。それまでに準備を整えておきなさい」

「ちょ、ちょっと待って下さい。学長先生っ」

 悲鳴のような少年のタンマはとても自然に抹消された。

「無事戻ってきた暁には、君は何の問題なく学院の立派な一員として迎えられるじゃろう」

 眩しいばかりの笑みとなかば脅迫のような言葉を最後に、学長の話は終わった。

 どうやら彼に選択の余地はないようだった。

    

 

 

 


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